2020年3月に「年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律案」(年金制度改正法案)が国会に提出されました。
この法案の趣旨は、働き方の多様化や高齢期の長期化に対応するためのもので、さまざまな見直しが含まれていますが、その中の一つが「年金の受給開始時期の選択肢拡大」です。
公的年金は、老齢基礎年金・老齢厚生年金とも受給開始は原則65歳ですが、実際は60歳から70歳までの間に受給開始時期を選択することが認められています。
今回の見直しは、受給開始時期を現行の60歳から70歳までを、60歳から75歳までと拡大するものです。
この中で、65歳前に受給を始めることを「繰上げ」、66歳以降に受給を始めることを「繰下げ」と称しています。
この記事では、繰下げ制度の変更点についてのあらましをお伝えしていきます。
果たしてどのような見直しがあるのでしょうか。そして、その見直しはどのような影響があるのでしょうか。
※ 年金制度改正法案は2020年5月に可決・成立しました。この記事でご紹介する繰下げの見直しは、2022年4月施行が見込まれています。
目次
繰下げ制度の変更点
繰下げ制度の変更点は、上限年齢の引き上げです。
公的年金は原則65歳が受給開始ですが、希望があれば70歳までの繰下げができました。今回の見直しで、70歳が75歳へと引き上げられています。
まずは、従来の繰下げのあらましをお伝えしていきます。
1 繰下げは66歳以降に申出を行う
公的年齢は65歳が受給開始ですが、66歳以降に申出をして受け取るのが繰下げです。
たとえば65歳11か月に申出をした場合、繰下げとはならずに単なる請求遅れになります。この場合、年金は65歳まで遡って支払われます。
66歳0か月以降に行うのが繰下げです。
2 繰下げは3つのタイプがある
公的年金の老齢給付は大きく分けて老齢基礎年金と老齢厚生年金がありますが、繰下げのパターンは3つあります。
1つ目は、老齢基礎年金・老齢厚生年金の両方を繰り下げる。
2つ目は、老齢基礎年金は65歳から受給し、老齢厚生年金のみを繰り下げる。
3つ目は、老齢基礎年金は繰下げするが、老齢厚生年金は65歳から受給する。
繰上げは、老齢基礎年金と老齢厚生年金を合わせて行いますが、繰下げは若干ですが自由度が高くなっています。
3 繰下げ増額率は0.7%
繰下げをすると年金は増額されて、その額が一生涯続きます。この時に使われる繰下げ増額率は1ヶ月当たり0.7%です。
65歳で受給開始した場合は100%です。では、66歳、あるいは70歳で繰下げをしたらどうなるのでしょうか。
繰下げは66歳がスタートになりますが、既に1年が経過しています。したがって、繰下げ増額率は100%+(0.7%×12月)で、108.4%になります。
同じように70歳で繰下げをした場合の繰下げ増額率は100%+(0.7%×60月)で、142.0%です。
4 繰下げの変更点
法律の見直しがあっても上記についての変更はありません。変更されるのは、従来の受給開始の上限70歳が75歳になる点だけです。
ただ、繰下げの上限が引き上げられるということは、繰下げ増額率も増えることを意味しています。
参考までに年齢別の繰下げ増額率をお示しすると次の通りです。(受給開始上限が75歳に引き上げられた場合)
年齢 | 繰下げ増額率(%) |
65歳0か月 | 100.0 |
66歳0か月 | 108.4 |
67歳0か月 | 116.8 |
68歳0か月 | 125.2 |
69歳0か月 | 133.6 |
70歳0か月 | 142.0 |
71歳0か月 | 150.4 |
72歳0か月 | 158.8 |
73歳0か月 | 167.2 |
74歳0か月 | 175.6 |
75歳0か月 | 184.0 |
※ 繰下げは66歳0か月以降、月単位でできますが、上記の表では1年単位の繰下げ増額率をお示ししています。
受給開始時期の引き上げによる受給総額逆転年齢
繰下げをすると、増額された年金が一生涯続きます。
そのため、65歳で受け取り始めた方よりも受給開始は遅れるものの、長生きをすれば受給総額を上回ることができます。
では、繰下げの上限年齢の変更で受給総額逆転年齢はどのようになるのでしょうか。
ここでは65歳0か月、70歳0か月、75歳0か月で比較をしてみます。
年齢 | 繰下げ増額率 | 受給総額逆転年齢 |
65歳 | 100.0% | |
70歳 | 142.0% | 82歳頃 |
75歳(見直し後) | 184.0% | 86歳頃 |
受給開始時期の引き上げによる問題と解決策
受給開始年齢の引き上げは、同時にいくつかの問題点を生み出します。この問題は法案が提出される前に分かっていたことで、その解決策についても既に示されています。
決して多発するような事例ではありませんし、内容も細かくなりますが、興味のある方はご覧になってください。
問題1と解決策
現在の繰下げ上限年齢は70歳です。ただ、70歳になっても請求を行っていない方もいます。
仮に、この方が70歳を過ぎて請求をした場合はどうなるのでしょうか。
70歳を過ぎて請求をした場合、2つの方法が考えられます。
一つは、繰下げ受給ではなく本来受給を選択する。もう一つは、繰下げ受給を選択するです。
繰下げ受給ではなく、本来受給を選択するというのは、65歳に遡って年金を請求する方法です。
この方法は繰下げ増額率は適用されないものの、過去の分がまとめて支給されるので、一度に受け取る金額が多くなるというメリットがあります。
しかし、年金には5年という時効があります。
本来受給を選択すると一度に多額の年金を受け取ることができるものの、それは過去5年分にとどまり、それ以前の分は時効により消滅してしまいます。
一方、繰下げ受給を選択するですが、現在の法律では70歳到達日以後の繰下げ請求は、請求時期にかかわらず70歳到達時点での増額率になると規定されています。
この方法であれば時効による消滅を避けられますが、同時に繰下げ上限年齢の引き上げという問題が発生します。
今回の法律が施行されるのは2022年4月です。
2022年3月までは上記のように、70歳到達日以後の繰下げ請求は、請求時期にかかわらず70歳到達時点での増額率になります。
しかし、2022年4月以降は繰下げ上限年齢が75歳に引き上げられるので、仮に72歳の方が請求された場合は158.8%の繰下げ増額率が適用されることになります。
問題2と解決策
問題2は、問題1と関連をしています。
問題1では、繰下げ受給ではなく本来受給を選択すると、時効により過去5年より前の分は消滅するとご紹介しました。
発生頻度は決して多くはないものの、やはり自分で作り上げた年金が時効により消滅してしまうのはなかなか理解は得られないものです。
そこで考えられているのが次のようなことです。
70歳以降80歳未満の間に請求し、かつ請求時点における繰下げ受給を選択しない場合(従来は5年より前の分は時効により消滅していたが)、年金額の算定に際しては5年前に繰下げの申出があったものとして年金を支給する。
たとえば72歳の方が請求をした場合は、問題1と同じように、本来受給を選択する方法と、繰下げ受給をする方法があります。
繰下げ年齢の引き上げが行われた後であれば、後者の繰下げ受給は新たな増額率が適用されます。
しかし、繰下げ年齢の引き上げが行われたとしても、前者の場合は5年消滅時効の問題が残ります。
今回の見直しはこの点を改善したもので、仮に72歳の方が繰下げ受給を選択しない場合であっても、5年前の67歳で請求したものとみなして、その時点の増額率を適用したうえで年金を支給されることになります。
この見直しにより消滅時効の問題はなくなります。
実際に、このような方がいるのかどうかは定かではありませんし、仮に該当する方がいたとしてもごくわずかな人数であると思われます。
この見直しは、法の不備を補うためのものと考えることもできます。
なお、この部分の施行は2022年4月ではなく、1年遅れの2023年4月施行が見込まれています。
まとめ
繰下げをすれば、繰下げ増額率で年金は増えますし、長生きをすれば何れは受給総額も逆転をします。
ただ、その前に考えなければいけないのは、繰下げの申し出をするとそれまでは公的年金が1円も入ってこないということです。
私は1年間に500人以上のお客様の年金やライフプランのご相談を承っています。
その中で、繰上げに関するご質問はよくありますが、繰下げに関するご質問は繰上げと比べると相当に少ないのが実情です。
また、実際に繰下げを選択する方もごく僅かです。
今回の見直しは、確かに高齢期の長期化を見据えたもので、選択肢が多くなったのは良いことだとは思いますが、実効性については疑問が残ります。
上限年齢の引き上げだけでなく、今後は繰下げ増額率のアップも期待したいところです。